タジキスタン6,026m峰遠征で見つけた、 “食”と“生き方”

タジキスタン6,026m峰遠征で見つけた、 “食”と“生き方”

未知の場所で、自分は何を感じるのか。

そんな期待を胸に、パウバーのスタッフ TOMO(大田倫丈)は、2025年の夏、“世界の屋根”と呼ばれるタジキスタンのパミール高原へ向かいました。目指したのは、標高6,026mのサン=テグジュペリ峰。情報も地図もほとんどない中、頼れるのは仲間と自分の感覚、そして“食”だけ。3週間の遠征で感じたのは、エネルギーの源である”食”の大切さ。そしてその食が”生き方”を形作るということでした。

 

タジキスタンに決めた理由と経緯

大学で山岳部に入部したことをきっかけに登山を始めました。当時からずっと「いつか6,000m以上の山に登りたい」という目標がありました。多くのクライマーはパキスタンやネパールに行きますが、素晴らしい山はたくさんあるものの、そこに行くアクセスの情報は豊富で、ある意味“整備された冒険”に感じてしまった。それよりも、ポーターやエージェントも使わずに“自分たちで切り開く冒険”をしたいと思いました。


遠征メンバーは3人。大学時代の後輩と、その後輩の山岳会の知人。その方とは初めて行った2月の北岳バットレスの山行で一緒に海外遠征に行くことを決めました。出国は7月28日、帰国は8月30日。実際に山に入ったのは8月7日からで、およそ3週間を山中で過ごしました。


いくつか候補を探す中で出会ったのが、タジキスタンにある一つの山。1960年代に登頂記録が残るのみで、その後の情報はほとんどなし。日本語はもちろん、英語で検索しても何も出てこない。ロシア語でようやくわずかな情報が見つかる程度でした。


だからこそ惹かれたんです。

—— 未知の場所で、自分は何を感じるのか。


目指したのは、タジキスタンのパミール高原に位置するフェドチェンコ氷河。ユーラシア大陸最大の氷河のそばにそびえる、標高6,026mの山です。その名は『星の王子さま』の作者、サン=テグジュペリと同じだと知り、その瞬間「ここしかない」と感じました。まるで物語の続きを探しに行くような気持ちでしたね。

 


“試行錯誤”の旅

本当に事前情報がなさすぎて、まさに“試行錯誤”の旅でした。首都からカザフスタン経由で入り、そこから車で約12時間。舗装路などほとんどなく、アフガニスタン国境沿いを走りながら道がなくなるまで進みました。


山から約50km離れた最後の村では現地の方の家に泊めていただき、自家製のトマトやきゅうり、平飼い卵をご馳走になったんですが、どれも味が濃くて驚くほどおいしい!そのシンプルな暮らしの中に、“何もないけど、すべてがある”という豊かさを感じました。


村を離れてからは旧ソ連時代の採掘場跡や崩れた橋を越えていったんですが、橋のワイヤーを使って自分たちで渡ったりもしてかなりのアドベンチャー。まるで映画のワンシーンのようでしたね。

ベースキャンプ(BC)は標高5,100m。そこにたどり着くまで約1週間。1人50kgの荷物を息を切らしながら2往復で運びました。途中で熊らしき足跡を見つけたりもしましたが、古いものだったので一安心することも。電波はまったくなく、ソーラーパネルで電気を節約しながら過ごし、天気はGarminのinReachで日本の知り合いから送られてくる情報のみ。限りあるものから自分たちで次の一歩を決めていきました。

 

山頂アタック — 苦しさの先に見えた景色

山頂へのアタックは1泊2日。テントは持たず、ツェルトのみ。1日目が約20時間、2日目が21時間の行動。しかもそれまで雲ひとつない晴天続きだったのに、初日に限って大雪に見舞われました。岩は雪で埋まり、踏み場がわからない。硬い氷河の斜度は45度以上で、アイゼンもほとんど刺さらない。10歩進むごとに全力疾走した後のように息が上がって。稜線が遠かった。ただただ苦しかった。


それでも、無酸素で登り切りました。山頂は思いのほか広く、どこまでも静かでした。光が薄く雪面に反射して、山々が淡く霞みながらもどこまでも続いている。けれど、その美しさを味わう余裕もないほど空気は薄く、身体の隅々まで疲労が染みていました。太陽は刻一刻と傾き始めている。「山頂に立った」という実感を胸に、戻ることも考えわずか10分で下山を開始。暗闇の中、ロープを頼りに一歩ずつ降りていく時間はまるで永遠のよう。それでも全員が無事に帰ってこられた —— 生きている。

 

“食”が支えた3週間

今回の遠征では、“食”が大きく支えてくれました。学生の頃から山行に行くたびに、ニキビができたり便秘なったりすることが多々ありました。しかし今回は3週間を通してずっと体調が良かったんです。


行動食はドライフルーツやナッツ、日本から持ち込んだ煎餅、そしてPOW BAR。BCからの朝晩はアルファ米の白米とスモールツイストを組み合わせていました。食品添加物を避け、ドライフルーツやナッツから自然にエネルギーを取るよう意識し、自炊のときも化学調味料は使わず、日本から持っていった調味料でシンプルに。肉や魚は取らず、卵とチーズのみ。それでもエネルギー切れを感じることは一度もありませんでした。


同行した2人は補助的にサラミやプロテインを用いていたからか、便が詰まったり腹痛になったりしていましたが、僕はずっと調子が良かった。山では「カロリーとタンパク質」が重視されがちですが、僕は“腸の調子”と“食物繊維”が最後まで動くための重要な要素だと感じました。POW BARに携わる者として、これを自分の体で証明できたことはとても大きかったです。


栄養素が大切なのはもちろんですが、それと同じか、あるいはそれ以上に大切なのが“食の時間を共有すること”でした。1日の行程を終え、食事を囲みながらその日のことを語り合う。これから登る山を想像したり、家族や恋人の話をしたり、くだらない冗談で笑ったり。そんな何気ない時間がチームの心を大きく支えてくれていたのです。そして、その真ん中にはいつも、“食”がありました。



変わっていった“登る理由”と、これからの“生き方”

行く前は正直、不安でいっぱいでした。情報がなさすぎて計画がなにも進まない。でも、“決めながら進む”しかありませんでした。

「誰と登るか」「どの山に登るか」「食事をどうするか」—— 全部、歩きながら決まっていく。1年前の自分には想像もできなかったことを、今、自分はやっている。それが本当に大きな経験でした。


そして、帰国後には意外な変化もありました。それまで心の中にあった“山への欲”が、ふっと消えたんです。「もっと高く」「もっと難しいところへ」と追い求める気持ちがなくなり、「自分のためだけにリスクを取る必要はない」と思うようになりました。


誰かのためになるなら、また挑戦したい。けれど、“自分が登りたいから”という理由だけではもう動かない。比較や競争といった感覚からも自然と離れられたように感じています。


もともと「山の食を変えたい」と思ってThe POW BAR & co.に入社したので、今回の遠征で自分が理想としていた“自然のエネルギーで登る”ということを自分自身で証明することができた。それが何よりも嬉しかったです。この経験は、これからの仕事にも必ず活かしていきたいと思っています。


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未知の国で、情報の少ない山を登り切った3週間。“食”を通して見つけた新しい生き方と、静かな心の変化。自然の力で動くというPOW BARの信念を、自らの身体で体現してみせました。そんなTOMOの次の挑戦は、きっと「誰かのために」始まるのだろう。

 

大田 倫丈 (Tomotake Ota)
The POW BAR & co.

生産管理 を主に担当 

1999年9月生まれ。大阪府河内長野市出身。
2019年大学山岳部の入部と同時に登山を開始
2022年在学中休学し、ヨーロッパ自転車横断(トルコ〜ポルトガル)の最中にモンブラン登頂

2023年カナダ・バガブー遠征
2024年北海道・ニセコ町The POW BAR & co.入社

 

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